OB会開催記録

【愛輪会の歴史】OB会開催記憶    第1期卒業生 谷 則夫

OB会が開催され、話す機会が与えられる度にOB会設立の経緯は話して来たつもりでしたが、なにせ、懇親会前の「早く飲みたい」あるいは「すでにできあがってしまった」後の話だから、恐らく皆さんの記憶には残っていないと思われます。今回、サイクリング部OB会ホームページ立ち上げに際して、石川さんより要請をいただいた事もあり、私の記憶を整理し、公開する事としました。私も転勤族として東京方面にいた時代はOB会をご無礼した年も多く、ぜひ皆さんの記憶・資料を発掘していただいて、この「開催記憶」が「開催記録」となるようご協力をお願いいたします。

★なぜ、現役部員によるOB会が主催され続けていた時代があったのか?

昭和50年、サイクリング部(当時は同好会)初の卒業生が誕生する事になりました。 そして、卒業に際しては「OB会をやろう」「開催時期は社会人として慣れたであろう半年後」 「OBだけ集まっても、たかだか5人じゃおもしろくないから在校生と一緒にやろう」 「ついては、OBはバラバラになってしまうのだから、在校生が幹事となって開催してほしい」 てなお願いを託して我々は巣立っていきました。

★なぜOB会をOBの手で運営するようになったのか?

あまりの出席者の少なさに、返信状況を見せてもらったら、欠席だらけ、そして返信すら来ない人も かなりの数。宛名不明も多く、名簿の更新は出来ていなかった。聞けば昨年の「ケッタ」名簿に卒業生 を加えているだけの名簿を活用していたのである。これをヅーと受け継いで来たらしい。 そしてOB会開催に伴う通信費等は大学祭の売上から捻出しているとの事であった。私が卒業した頃 のような、出席者の会費の中から通信費等を賄える規模では無くなっていたのだ。 さらに、OB会開催案内時にOB会費と称した「ケッタ」の販売も、(私も東京時代に立ち切れたように) 希望者はごく僅かで、OB会は在校生の負担の上で成り立っていた事を知らされた瞬間であった。 これでは、見ず知らずのOBがノコノコ顔を出しても歓迎される筈が無い。 そこで、私が勤めている会社の前が、53年卒柴田さんの自宅という地の利を生かし、昨年より温め始めた「OBの手によるOB会」実現に向け、彼を巻き込んで動き出したのであった。

★そして感謝

入学した当時にはサイクリングが無かった為、既存の他のクラブに所属していた時期もあったが、 無いなら自分たちで作ってしまえと、当時のバイコロジブーム(バイスクールとエコロジーの合成語) の追い風を受けて設立したのであった。 愛好会から出発したサイクリングには補助金も部室も無く、会合は哲学の森や空き教室を見つけて 行っており、先輩たちが築いた地盤を当たり前のように享受して活動しているクラブが羨ましくもあった。それから30年。活動は連綿と引き継がれ、今や、当時羨ましく思った他のクラブと引けを取らないまで の歴史を積み、かつ成長して来た。 そしてOB会もクラブに遅れる事2年で同様に続いている。 特筆すべきはサイクリングOB会が1度も欠かす事無く毎年続いて来た事である。 この連続記録は、サイクリング部よりも歴史のある他のクラブでもありえないのでは無いだろうか? 「先輩たちがサイクリング部を作ってくれたお陰で今の我々があるんです」と言ってもらえる事もあるが 逆に私からすれば「皆さんが連綿と引き継ぎいで来てくれたからこそ、今もクラブがあり、部室にも 訪れることができ、そしてOB会もこうして毎年開かれているんですよ」とこちらのほうが感謝したい位の 気持ちである。 在校生がOB会を開催してきてくれた事が長続きした秘訣だと思われるが、もう、これだけ続いてしまう と、続ける事にも意義が出てくるような気がする。1度でも中断すれば、後はどんどんと後退してしまい、 再度立ち上げる時の苦労は並大抵のものでは無いのではないだろうか。 その為にも、そして「今はOB会に縁が無くても、いつか昔を振り返りたい年になった時」でも、暖かく 迎えられるよう存続し、開催し続けてゆきたいと思う。


 

1975年(昭和50年) ■第1回OB会
在校生が年間クラブの活動も終えた11月、小池あたりで開催されました。新入部員は全員男子で5~6名、ちょっと華やかさに欠けたが、スポーツクラブとしての期待が感じられました。(コメント:谷 則夫)
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1976年(昭和51年) ■第2回OB会
やはり小池あたりだったと思うが、昨年と一変して大量の部員が入部し、女子部員も多く大変にぎやかなOB会だった事を記憶しています。(コメント:谷 則夫)
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1977年(昭和52年) ■第3回OB会
コメントなし
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1978年(昭和53年) ■第4回OB会
コメントなし
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1979年(昭和54年) ■第5回OB会
コメントなし
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1980年(昭和55年) ■第6回OB会
半田へ転勤となったが初めての事務職、しかも不慣れな経理にすっかり落ち込んでいた時期で、出席したかどうか記憶に無い。(コメント:谷 則夫)
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1981年(昭和56年) ■第7回OB会
コメントなし
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1982年(昭和57年) ■第8回OB会
コメントなし
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1983年(昭和58年) ■第9回OB会
豊橋駅西口の壷屋。再度半田に転勤しており出席。共に過ごした仲間が顔を出しており、楽しいひと時であった。(コメント:谷 則夫)
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1984年(昭和59年) ■第10回OB会
西口のガス ビル「サーラ」ほんの少し遅れて開催挨拶中の会場に飛び込んだらスーツ姿の若者集団に圧倒。てっきり会場を間違えたものと思い込み、一旦会場を抜ける。(OBに失礼の無いようにとスーツ着用を義務付けられていたらしい)そのくせ、OBはラフな格好とりあえず、見分けがついて都合が良かったことは確かだった。しかし、同期はおろか、一緒に活動した連中の顔も激減、OB会で初めて知り合ったOBが顔見知りという時代の始まりであった(本当は第1回OB会の時の新入部員だったんだが・・・)(コメント:谷 則夫)
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1985年(昭和60年) ■第11回OB会
ガス ビル「サーラ」現役背広・OBは私服というスタイルにも慣れた。この時の挨拶の中で「いづれOB会に皆さんをタダで招待します」と発言したような気がする。来週一緒に走りませんかとのお誘いに54年卒の奥村さんと参加。寒かったので昼の鰻屋で日本酒1本注文したのを当時2年生だった60年卒の石崎さんに今でも指摘される始末・・・・当時、まだまだ20代の体力はあると思っていたが、私好みのポッチャリした女性部員に峠の終盤で置いてゆかれ、ついにビリ。こんな峠を女性が元気に登ってゆくまでに成長したクラブに感激。(いや、自分の体力が落ちている事も原因だとは信じたくもなかったのかも知れない)(コメント:谷 則夫)
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1986年(昭和61年) ■第12回OB会
11/29の土曜出勤日・・・決算棚卸でとても出席できる状態ではなくご無礼。来年もあるさという気持ちもあり、2次会に遅れてでもという気にもならず。(コメント:谷 則夫)
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1987年(昭和62年) ■第13回OB会
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1988年(昭和63年) ■第14回OB会
コメントなし活動報告写真
1989年(平成1年) ■第15回OB会
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1990年(平成2年) ■第16回OB会
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1991年(平成3年) ■第17回OB会
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1992年(平成4年) ■第18回OB会
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1993年(平成5年) ■第19回OB会
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1994年(平成6年) ■第20回OB会
ガス ビル「サーラ」。久々のOB会は、先ず、その在校生との年齢差にビックリ。そして在校生、OBの人数の少なさにビックリ、在校生の中にも欠席者がいるとの話に3度ビックリ「顔見知りのOBも少ないだろう」と覚悟はしてきたものの、昭和50年代卒は私だけ、かろうじて60年代1名(御免!名前は忘れた)そして平成1年の小林さん、後は卒業して間もない世代のOBが少し。その若いOBと在校生で盛り上がる中に、場違いのオヤジが一人。(コメント:谷 則夫)
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1995年(平成7年) ■第21回OB会
ガス ビル「サーラ」。昨年の会場隣のさらに狭くなった部屋。そしてそれに相応しいだけの参加人数。ついに昭和の年代は私1一人、そして平成(いや、無理して昭和64年卒)の小林さん。昨年知り合った平成4年の神谷さん・鋤柄さん他若いOB数人という寂しさ。新入部員も少なく、部の存続すら危うく感じられた。サイクリング部はなくなり、OB会だけが残ったなどという図式もチラついて来る。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
1996年(平成8年) ■第22回OB会
豊橋勤労福祉会館。初のOBによるOB会を実現 OB70名、在校生25名という堂々たる会合となった。前準備に随分時間を掛けたつもりであったが、なにせ初めての事でしかも大人数という事もあり、行き違いによる不手際が合った事はお詫びしたい。また、個人的にもせっかく久しぶりに会えた昔の仲間に対して、会の進行や、見知らぬOBとの顔つなぎに奔走し旧交を温めている暇がなかった事もお詫びしたい。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
1997年(平成9年) ■第23回OB会
ホテル白豊。昨年が大人数だっただけに、まあ、半分位かと思いきや25名弱それでも、今から思えば、贅沢な期待であった。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
1998年(平成10年) ■第24回OB会
ホテル白豊。さらに減って20名位。会場費の安い場所選びが必要となる。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
1999年(平成11年) ■第25回OB会
58年卒の中内さんのつてで学内生協食堂で開催。「せっかく豊橋まで出て来るなら、学内で」というニーズを掴めるかという企画であったが、10名を切り、参加者は役員+αという結果に終わった。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2000年(平成12年) ■第26回OB会
学内生協食堂。4年に1度の総会という事で顧問の先生にも出席を賜る。しかし、総会とはいえ、20名レベル。めずらしく遠方から出て来たOBに声を掛けたら「同期と集まる約束になっていますのでそれまでの時間つぶしで・・・」と言われショック!人数も少ないから宴会中とはいえ討議の場にもなり在校生に対して「あなたがOBになったらこの会に出席しますか」との問いかけに、「判りません」という本音の返事に再度ショック!バブル崩壊後に卒業したOBの組織率の低さを裏付ける発言であった。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2001年(平成13年) ■第27回OB会
部室。「ぜひ、青春時代を過ごした部室も見たい」というニーズに期待したが、OBの家族まで参加して20数名。在校生全員呼べない、入らないから、主要な代表者だけ。(コメント:谷 則夫)
活動報告写真 活動報告写真
2002年(平成14年) ■第28回OB会
学生会館。参加OB10名切ったが、少ないからじっくり話し合える初めてお会いした56年卒の高柴さんより「顧問の教授」と間違われてしまう年齢となっていた。そして、この年、私の長男と同じ年生まれが新入部員として加わっていた・・・・(OB出席者7名)(コメント:谷 則夫)
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2003年(平成15年) ■第29回OB会
学生会館。役員も変われば、それにつれて新たな顔ぶれにも会える。56年卒尾崎さんもまさにその1人。卒業して初めてOB会に出席されたらしいが、年代こそ違うもものの、同じサイクリング部で汗を流した時期があったというだけで、初対面の壁をあっさり乗り越え初対面からまるで旧友のように話し合えのもOB会の良さである。(OB出席者17名)(コメント:谷 則夫)
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2004年(平成16年) ■第30回OB会
それまでの学館練習室から急遽学内食堂カフエテリアベルへ。4年に1度の定期大会であったが、25名を切った。以降ここで3時から総会、3時半~5時半懇親会、6時~駅前で二次会。8時~日本酒が並ぶお店で3次会というパターンが暫く続く。(OB出席者22名)(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2005年(平成17年) ■第31回OB会
58年卒組役員による開催が始まる。出席予定者はOBだけで18名。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2006年(平成18年) ■第32回OB会
予定者27名という事になっているが、欠席はもちろんの事、二次会から参加というメンバーも含めての数字である。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2007年(平成19年) ■第33回OB会
54年卒業の青木が参加した最後のOB会となった。(OB出席者25名+二次会からの出席者4名)活動報告写真
2008年(平成20年) ■第34回OB会
58年卒組の役員最後の開催。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2009年(平成21年) ■第35回OB会
いよいよ平成年度卒組役員による開催が始まる。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2010年(平成22年) ■第36回OB会
2011/1に「おでんしゃ」日曜日に貸切で実施。枚方単身赴任中につき1次会でご無礼。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2011年(平成23年) OB会の歴史の中で、初めて開催出来ず中断となる。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2012年(平成24年) 昨年に引き続き、2年連続でOB会を開催出来ず。(コメント:谷 則夫)活動報告写真
2013年(平成25年) ■第37回OB会
6月29日に高柴くん主催で名古屋の居酒屋にて夏のOB飲み会開催。二次会もカラオケで盛り上げる。(コメント:事務局)活動報告写真
2014年(平成26年) ■第38回OB会(愛輪会)
8月30日に新愛輪会開催(コメント:事務局)活動報告写真
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2016年(平成28年)
7月9日
役員会(金山にて)
愛輪会総会の開催日時及び提出出議案を決定する(コメント:事務局)活動報告写真
2016年(平成28年) ■第39回OB会(愛輪会)
11月5日に名古屋キャッスルプラザ「チャイナ&園」にて、総会及び懇親会を開催

総会で下記①~③の議案が承認されました。
①愛輪会規定の改定(新規約は「愛輪会規約」より確認出来ます)
②会費残高について会計より報告後、下記4点を決定
 *次回以降の総会時に開催される親睦会費用の補助金として拠出
 *総会開催通知用の通信費として拠出
 *総会前の役員会の会議費として拠出
 *有料掲示板導入費用として拠出
③新役員が決定(新役員は「愛輪会規約」より確認出来ます)活動報告写真
2017年(平成29年)
3月18
役員会(豊橋げんこつやまにて)
役員の役割確認と秋の愛大祭企画を実施すること等を決定する(コメント:事務局)活動報告写真
2018年(平成30年)
7月29日
役員会(蒲郡花火大会の直前に「花豊」にて)
蒲郡の花火大会の日に花豊でスペースをお借りしての役員会を始めて開催。本年の愛輪会総会の開催日時及び提出議案等を決定する(コメント:事務局)
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2018年(平成30年)
11月17日
■第40回OB会(愛輪会)
11月17日に名古屋名鉄グランドホテル「アイリス」にて、総会及び懇親会を開催(コメント:事務局)
2020年(令和2年) ■OB会中止
コロナウィルスの影響で2年に1回の総会及び懇親会が中止(コメント:事務局)活動報告写真
2021年(令和3年)
11月上旬
■第41回OB会(愛輪会)
コロナウィルスの影響で本年も対面型の総会及び懇親会が中止。代わりに「議案回答書」を利用した非対面型の総会を実施(コメント:事務局)
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2023年(令和5年)
11月18日
■第42回OB会(愛輪会)
2023年11月18日に名古屋市西区名駅のルピナスにて、総会及び懇親会を開催。
5年振りの対面による総会の開催となり。会員総数93名の内49名の参加となりました。
なお、議案の決議結果については『決議事項』のページをご覧ください。
(コメント:管理人)